LOGIN王都神殿──その中心にある《聖女の間》。
純白の大理石で築かれたその空間は、天蓋から差し込む光すら計算されたように神々しく、神の栄光を象徴する場として完璧に整えられていた。 床には精緻なモザイク、壁には歴代の聖女たちの肖像画。本来ならば、神に選ばれた少女ただ一人が玉座に座し、民の祈りを一身に受けるための場所だ。――だが、その欺瞞的な美しさが、俺の胸を静かに抉った。
嘗て聖女が祈りを捧げ、人々が膝を折ったこの場所は、いまやただの装飾だ。妹の血で汚されたこの空間を、俺はもはや神聖とは思わない。完璧な造形も、神を讃える歌声も、全てよく出来た舞台装置に過ぎない。
そして今日、その舞台に新たな役者が現れる。 俺と言う存在だ――王都のすべてを欺き、世界の前提を破壊する、偽りの存在。 名を、アリス。リリスの【双子の妹】として、本来この世界に存在しない影の聖女。その名を心の中で転がすと、どこか甘く、同時に吐き気のような違和感が喉を撫でた。 そんな人間は、本来この世界にいない。 歴史にも、神殿の記録にも、人々の記憶にも、一片の痕跡すらない。 完全な虚構。無から生み出された嘘。 だが存在しなかったからこそ、作れる。 筋書きにない空白、誰にも触れられていない余白、その余白に何を書くかは、俺の自由だ。言葉で、視線で、沈黙し、すべてを計算し、慎重に、確実に。 虚構を真実に塗り替える。過去を捏造し、絆を編み、世界の認識そのものを歪ませる。それが俺の選んだ手段だった。 禁術によって俺が手にしたのは、力ではない。認識を侵すという、神が与えなかったもの。世界に信じさせる力だ。 信仰でも、血筋でもない。欺瞞の上に築かれた本物より、本物のように振る舞う虚構の方がずっと強い。俺はその強さを選んだ。奪い取った。 薄暗い通路を抜け、《聖女の間》へ続く長い階段を上る。 一段、一段、慎重に足を運ぶたび、足音がやけに大きく響いた。 神殿全体に、俺の存在を知らしめるかのように。鼓動は驚くほど冷静で一定のリズムを刻んでいた。 心が凍っているのか、それとも高ぶりすぎて感情が壊れているのか、自分でもわからない。 身に纏うのは、淡い薄桃色のドレス。 柔らかな絹が肌を撫でるたび、ぞっとするような異物感が走る。かつて鎧を纏っていた自分の肌には、これはあまりに柔らかく、薄く、そして無防備だった。 軽い靴が控えめな音を立てる。この細く華奢な脚は、もはや敵を追い詰めるために地を蹴った脚ではない。それでも、今の俺にとっては十分すぎるほどの武器だった。見せるための姿。信じさせるための演出。 慣れぬ髪の重みが、右目を隠すように揺れる。その奥には、俺が【ヨシュア】である証がある――火傷の痕。決して人に見せてはならない。どれだけ完璧に姿を偽ろうとも、それだけは消えない。 存在の証明――誰にも知られず、誰にも見せず、俺だけがその痕跡を知っていればいい。この場所に、【ヨシュア】は存在しない。
感情を奥底に沈め、怒りを凍らせ、アリスという仮面を被る。魂が今も燃え続けていても、表情は穏やかなまま。誰も疑わない微笑みを浮かべて、俺はただ静かに、舞台の中心へと歩いていく。
「ご案内いたします、アリス様」
控えていた侍女たちは、戸惑いを隠しきれないまま俺を迎え入れた。
疑念はある、だがそれ以上に権威に従うという習性がその表情に色濃く滲んでいる。彼女たちの視線は俺の顔から離れず、しかし問いかける勇気はなかった。 手には、王家と神殿の正式な推薦状がある。筆跡も印章も、細部に至るまで完璧に再現された偽造品だ。だが、誰一人としてそれを疑おうとはしない。 聖女のような【少女】が、そこに立っている。それだけで、人の思考は容易く停止する――世界は、欺かれることを望んでいる。 重厚な扉が、ゆっくりと開かれた。磨き上げられた大理石の床に、俺の影が細長く伸びる。 その影は、まるで魂の闇そのものを引きずっているかのようで、思わず笑いそうになった。そこにいたのは、クララ=フォンテーヌ。
純白のドレスを纏い、玉座に腰掛け、完璧な笑顔を貼り付けている。その表情は、すでに勝利を手にした者のものだった。
だが、目が合った瞬間――その笑顔が、ほんの一瞬だけ硬直する。 戸惑い、理解不能、想定外、あまりにも分かりやすい反応だった。まるで、用意されていない選択肢が画面に表示された瞬間の、無防備な顔。「あ、あら……どなたかしら? 王都では、お見かけした覚えがありませんわね」
言葉は柔らかい。だが視線は鋭く、値踏みするようにこちらをなぞってくる。優雅に立ち上がりながらも、警戒を解いていないのがはっきりとわかる。
「このような場にお立ちになる以上、相応のご身分でいらっしゃるのでしょう?差し支えなければ、お名前を伺っても?」
「はじめまして、クララ様。わたしはアリスと申します。本日より、神殿に仕える事になりました」深く、静かに会釈する。
嘗てリリスが人々の前で見せていた、あの柔らかな所作を、寸分違わずなぞる。視線は伏せすぎず、逸らしすぎず、疑われない距離。「……アリス、様?」
クララが、その名を反芻する。知らない名前だ、と言外に滲ませながら。
「そして……」
わずかに間を置き、声を落とす。確実に、彼女の耳に届く距離で。
「――わたしは、リリスの双子の妹です」
その瞬間、空気が凍りついた。
神官たちの息が止まり、侍女の誰かが小さく息を呑む音がし、室内の時間が、一拍、遅れた。「……双子、ですって?」
クララの声が、僅かに揺れる。
「そんな話、わたくしは――いいえ、神殿の記録にも、そのような……」
言葉を選ぶ仕草。否定したいが、否定しきれない焦り。俺はただ、静かに微笑む。
その微笑みは、かつてリリスが人々に向けていた慈愛のそれと、寸分違わない――ただし、その奥に宿るものだけが、決定的に違っていた。
神官たちの顔から血の気が引き、侍女が息を呑み、言葉を失う。 そして、クララだけが――理解していた。 この存在が、自分の物語に存在しないことを。「……聞いていない。そんな登場人物……」
クララの声はかすかに震えていた。息を吸う音が耳に残るほど、部屋の空気は静まり返っている。
彼女の唇が微かに動き、だがその表情は――あまりにも素直だった。 驚き、怯え、認めたくないという幼稚な拒絶が、作り込まれた笑顔の下から覗いている。――俺は、微笑んだ。
表情は柔らかく、角を削ぎ落としたように穏やかで、誰からも好意を持たれるそれだった。
リリスが生前、よく浮かべていた慈愛の微笑み。だが――その奥に宿っているものは違う。あの子の眼差しには他者を思う温度があったが、今、俺の中にあるのは、無機質な冷気と黒々とした怒りだ。 慈しみの形を借りた、純粋な殺意をみせながら。「物語は、ときに分岐するものです、クララ様」
一歩、足を踏み出す。音を立てないように、だが確かに踏みしめる。
ドレスの裾が揺れ、まつげが影を落とす。 距離が縮まるたび、クララの顔がこわばっていくのが分かった。瞳孔がわずかに開き、喉が上下する。「一本道とは限りません」
その言葉が届いた瞬間、彼女の呼吸が一度、乱れた。内心を悟られまいと強く作った笑顔の縁が、耐えきれず震えている。
余裕はもうないだろう、強がりが仮面として成立する限界をもうとっくに超えていた。「どうぞ、末永くよろしくお願いいたします」
声は静かだった。波紋を立てぬ水面に、音もなく落ちる雫のような声音。だが、その実、ゆっくりと毒を広げる挨拶。意味などどうでもいい。
ただの定型句で、心の中を揺さぶる。「――聖女様」
最後の一言は、わずかに囁きに近かった。けれど確実に、彼女の耳に届く。鼓膜に焼き付けるように。
クララの顔が、完全に引きつった。頬の筋肉が固まり、視線が一瞬だけ泳いだ。口元を引き結ぶその表情には、もはや取り繕いの余地はない。 恐怖と敵意。支配されていた舞台に、制御不能の異物が滑り込んできたという、支配者ならではの焦燥。それが、確かにそこにあった。 それでいい。むしろ、それが欲しかった。 舞台は整った。幕はすでに上がっている。 さあ――始めよう。 お前が奪った役を、今度は俺が喰らう番だ。 その物語ごと。世界ごと。骨の髄まで、噛み砕くように。 そして――お前が信じてきた筋書きを、地獄の底へと塗り潰す。風が吹いている。乾いた石と、草の匂いが混じった風だ。 嘗ては【聖女の祈り】が響いていた神殿跡。今では廃墟となり、祈りを捧げる者も、見上げる民もいない。 けれど――俺は、ここに立っている。 荒れ果てた神殿の階段に腰を下ろし、小さな灯火を手のひらに灯す。 それは、リリスが生前に使っていた祈祷具。割れていた欠片を修復し、こうして時折、火を灯している。 ――あれから幾年が過ぎただろう。 王都は再編され、神殿制度は歴史の中に沈んだ。人々はもう【聖女】という言葉を口にすることも少なくなった。 それでも、世界は回り続けている。 誰かが失われ、誰かが傷つき、それでも生きていく――それが、祈りを捨てたあとの、この世界だ。「……戻ってきたのか?」 背後から、聞き慣れた声がした。 振り返ると、黒衣の男――ルーカスが立っていた。 以前と変わらぬ鋭い目。けれど、どこか柔らかさを纏っている。「懐かしい場所だろう」「……ああ。だけど、少し寂しいな」 彼は俺の隣に腰を下ろす。 そして手を伸ばし、俺の手のひらの祈祷具に触れる。「リリスがいたら、何て言っただろうな」「「ようやく、肩の荷がおりたのではないですか?」って、笑うんじゃないか?」「……それ、結構的確かもな」 そのように会話をした後、俺とルーカスは、ふっと笑う。 この静かな時間が、いつまでも続くとは思っていない。 俺たちは罪を背負った。許し合ったわけでもない。ただ――手を取り合って、前へと歩き出しただけだ。「っ……」 ふと、体がふらついてしまい、それをルーカスが支える。 体を支えられたことに少し安心感を覚えながら、ルーカスに目を向けると、変わらない顔をしているのだが何処か心配そうな顔をしているのもわかった。 あと、どのぐらい生きていられるのであろう? 数
数日後――王都を、離れる日が来た。 聖女制度が崩れ、神殿は政から手を引いた。 民は混乱しながらも、新たな時代に踏み出そうとしている。それでも、俺の中には何一つ「終わった」と思えるものはなかった。 もう、二度と大切な妹のリリスは戻ってこない。 復讐は果たした。けれど、それで心が癒えるわけではない。 俺は、妹の名を守った。そのために仮面をかぶり、偽りを纏い、多くの人を騙した。 それでも――誰よりも、俺が偽りだった。 神殿を出ると、通りには人が集まっていた。 嘗てアリスと呼ばれた【聖女】の最後の姿を見送ろうとする者たち。 中には、涙を浮かべて頭を下げる者もいた。 しかし、それを見ても俺は何も感じる事が出来ない――皮肉だ。 俺は聖女でもなんでもない。 ただ、|妹《リリス》を殺したこの国を許せなかった、怒りと執念の化け物だ。 それでも人々は、俺の祈りに救われたと言ってくる。 ……リリスなら、どうしただろうな。 リリスなら、きっと――笑って許したかもしれない。優しい子だったから。 門を抜ける――この道をまっすぐ進めば、都を出て遠く離れた地へと辿り着く。 もう戻るつもりはない。 この国の中で、これ以上生きていけるとは思えない。 それに、体が限界だった。 無理やり作ったこの体は、長く持つ事はない。 いつかは崩れ、滅びるかもしれない――禁術を使った為、どうせあと数年の命なのだとわかっていた。 微かに感じる痛みに耐えながらも、俺は進む。 ――これから俺は、何をしていけばいいのだろう、と願いながら。 ふと、背後で。重たい扉の音とともに誰かが駆け出してくる気配があった。 振り返ると、そこに――ルーカスがいた。 黒衣のまま、息を切らして、手を伸ばしている。「ヨシュア……!」 俺は足を止めた。 それでも、何も言わなかった。 この男に、今さらか
夜が、白み始めていた。 窓の向こう、空はまだ暗い。だが、確かに朝の気配が混じっている。俺は静かに身を起こし、ベッドから離れた。 体のあちこちに、まだ熱が残っている。それが何によるものか――考えるまでもなかった。 ルーカスは、眠っていない――横たわったまま、天井を見つめている。そのシャツはきちんと着られておらず喉元がわずかに露わになっている。 俺は何も言わず、上着を手に取った。「……」 この部屋に、これ以上いる理由はない。 いや――本当は、理由はある。ただ、それを選べないだけだ。 扉に手をかけた、その瞬間。「……行くのか」 背後から、ルーカスの声がしたが、俺は返事をしないまま、俺は外へ出た。 離宮の回廊を抜けると、雨が降っている――夜明け前の、冷たい雨。 すぐに、服が濡れる。それでも構わず、俺は立ち尽くした。 頭の中が、空っぽだった。 祈りも、怒りも、復讐も――すべて一度、終わってしまったような感覚。 その背後で、足音がする。 振り返る前に、肩に何かがかけられた。タオルだ。まだ、温かい。「風邪を引くぞ?」「……」 ルーカスは、雨の中に立っており、彼もまたシャツが乱れたままだ。 その姿を見た瞬間、胸の奥が痛んだ。 俺は、唇を噛みしめて言った。「……俺は、お前を許すことが出来ない」 声は、震えていなかった。「きっと、これからもだ。俺はお前を憎む……間違いなく、これからだ」 ルーカスの目が、わずかに揺れる。「俺の大事な妹を殺したのは……お前だからだ」 雨音が、その言葉を飲み込む。 しばらくの沈黙のあと、ルーカスは静かに頷いた。「……ああ、それでいい」 ルーカスは、静
ルーカスの指が、俺の背を撫でている。熱を帯びたその手のひらが、肩から腰へとゆっくりと滑っていく。どこにも急ぎはなく、ただ、俺が逃げ出す気配を探るように――優しく、慎重に。 俺はもう動けなかった。 殺すことも、拒むことも。そして、離れることも。「――ヨシュア」 名前を呼ばれるだけで、胸の奥が震える。 妹を殺した男のくせに。それでも俺は、こいつの声が――たまらなく欲しい。「……触れろよ」 呟いた俺の言葉に、ルーカスの手がわずかに震える。それでもすぐに、彼の指先が俺の頬をそっと撫で、唇に触れた。 ぬるいキスだった。火傷のように熱くも、獣のように荒々しくもない。 ただ、誰よりも俺の輪郭を知っている手付きで、俺の唇を奪ってくる。 深く、舌を絡めながら、喉の奥まで侵食されていく。絡み合う唾液と舌の音が、静かな室内に淫らに響いた。「……んっ、ぁ……く、っ」 息も声も、何もかも全てルーカスに支配されていく。 気づけば俺の身体は完全に晒され、下肢すら、彼の手の中でゆっくりと扱かれていた。「……反応してる」 ルーカスがくぐもった声でそう言い、俺の首筋に舌を這わせた。 その声が――悔しいほどに優しくて、息が詰まった。「殺したいくらい、憎んでるくせに。お前の身体は、俺に抗えない」「……っ!」 そう言いながらも、下腹部に走る快楽には抗えなかった。 弄ばれるように扱かれるたびに、腰が無意識に跳ね、吐息が荒くなり、声が漏れる。「ふ、ぁ……や、ぁ……っ」「喘ぐ声が、可愛い」「……くそっ……さ、さいてー……」 それでも、俺はルーカスを許してしまう。 触れられるたびに、心の
俺は喉元に食らいつくように噛みついた。 噛みつくと同時にルーカスの血の味が、わずかに口の中に広がる。 鉄の味、これは生きている証で生々しさ。 それでも、奴はまるで痛みすら快楽に変換しているかのように俺の背中に手を回してくる。「……っ、なんで……こんな……っ」 俺の声は震えている。怒りか、悲しみか、欲望か。 そのどれもが、もう混ざり合っていてわからないまま、ルーカスはゆっくりと、唇を俺の耳元に寄せる。「お前が俺を憎んで、同時に欲しているのが分かる。ヨシュア……そのままでいい。お前がそのまま俺を受け入れられなくても……身体は嘘をつけないだろう?」「だ、黙れ……黙れ……っ!」 拒絶の言葉とは裏腹に、体の奥が熱くなっているのを俺でも感じていた。 憎しみに塗れながらも、どこかでこの男を――否、ルーカスを欲しているのがわかる。 信じようとしていた目の前の男を、今はリリスの仇でもある存在だ。噛みついて殺してやろうと思っていたのに、そんな事を拒否している自分自身がいる。 こんなの、俺ではない。 そのままルーカスは喉元を舐められ、噛まれ、舌でゆっくりと愛撫されていく。その行為がまるで罰のようで、同時に少しだけ救いのようでもあった。「やめろ……やめてくれ……」「やめないさ……もう、お前も戻れない。リリスを想い、俺を憎み、それでも――」 唇が重なる。深く、貪るように。舌を絡められ、口内を蹂躙される。 息すら奪われるほどの熱に、抗う気力はもう残っていなかった。 ルーカスの手が、俺の上着を丁寧に、だが容赦なく脱がせていく。火傷の跡がある俺の肌に、彼の手が触れるたび、かすかな痺れが走る。 それでも彼は、その痕にさえも優しく口づけていった。「その傷が
沈黙は、一拍。いや、正確には【間】だったのかもしれない。 ルーカスは静かに何かを考えるようにしたあと、ようやくこちらを見た。驚きも、動揺もない。ただ、静かな目で。「……そうだと言ったら、お前はどうする?」「っ!!」 それはあまりにも、あっさりとした肯定だった。ただ、驚く事しかできない。 ルーカスは静かに笑いながら話を始める。「この国は、腐っていた。神殿も、王族も、民衆も……すでに正義では回らなくなっていた」 グラスを置く音が、乾いている。「君の妹、リリスはそれを許せなかった。正しくあろうとしすぎた。清らかで、まっすぐで……」 そこで、わずかに言葉を切る。「――だからこそ、邪魔だった」 胸の奥で、何かが軋んだ。 思い出す。あの日、リリスがメモに残していたもの。 ――セドリックは、聖女を信じていない。 ――あの人の言葉には、いつも底が見えない。 ――私が私であるうちに、本当の神に祈りたい。 ――兄さま、ごめんなさい。 リリスは気づいていたんだ、ルーカスの計画に。 しかし、ルーカスの目的はユディスを王様にするのではなく、全てを滅ぼすために。 それに、リリスは気づいてしまったからこそ、止めようとしたんだ。「説得しようとしたんだろう。止めようとした……だから、消した」 ルーカスの声には、後悔はない。 あるのは、結果を受け入れた者の覚悟だけだった。「実行したのはカイ……俺の従者だよ。命令で彼が刺して、落とした。事故に見せかけてな」 その言葉を聞いた瞬間、俺の頭の中で、何かが切れた。 気づいた時には、俺は短剣を抜いていた。刃先は、まっすぐルーカスの喉元を向いている。 殺せる距離、殺す理由。十分すぎるほど、揃っている。 それでも――ルーカスは、動かな
祭壇の間に残された余韻は、どこか現実味に欠けている。 それは熱狂の残り香であり、祝福のかたちをした虚無――人々が自らの手で作り上げ、信仰と歓喜を重ねて燃やした偶像の最後の熱のようなものだった。 ルーカス=アルヴィンは、その終わりの光景を誰よりも静かに見届けていた。式典が終わった後もなお、一人玉座の間を見下ろす席に腰掛け、沈黙の中で目を閉じている。 拍手も、讃美の声も、消えた。 だが、彼の脳裏にはまだ、一つの影が焼き付いて離れなかった。 ――あの【少女】。 現れたばかりの、聖女候補。アリスと名乗っ
夜の帳が落ちた神殿は、昼とはまるで違う顔を見せる。 陽光に満ち、祈りの声が高く響いていたはずの聖域は闇に包まれた途端、まるで何かが息を潜めるような静けさをまとい始める。 昼の神聖は白々しくすら思える。まるで、光がその欺瞞を隠していたかのように。 闇に沈んだ聖堂は、神の居場所などではなくなり、ただ石と装飾でできた冷たい箱と化す。華やかだった天蓋の装飾も月の光の下では虚飾にすぎない。光が届かぬ奥には祈りすら遠のき沈黙だけが残されている。 まるで隠された罪が、沈黙の奥で微かに息をしているかのように。 そんな中、俺は一人与えられた私室の寝台で目を開けていた。 微睡みなど、許されない――
誰かが息を潜めて眠っているような夜に、俺は動き出す。 漆黒の闇が王都を覆い、遠く霞む灯りだけが、その存在をかろうじて示している。 北の外れ、古びた〈白霧の祠〉には、人の営みなど届かない。生活の音も、人々の喧騒も、欲望の気配すらも。 すべてが断絶されたこの場所には、【静寂】そのものが支配する空気が淀んでいた。 風に揺れる枯れ草すら、この場所では不気味な音を立てる。 ここは、古く捨てられた神殿。 嘗ては聖なる祈りが捧げられていたのかもしれない。 だが今は、誰も祈らず、朽ち果てた石壁に苔が根を張り、空気は死んだ香りを孕んでおり、崩れかけた天井から差し込む月明かりが塵と瓦礫に奇妙
王都神殿――その中心にある《祝福の塔》は、信徒の間での光が最も強く差し込む場所と呼ばれていた。 天に向かってひときわ高くそびえる純白の巨塔は、この国の信仰の象徴であり無垢なる聖女を迎え入れるにふさわしい、穢れなき聖域と。 その威容は、遠くから見ても人々の心を畏敬の念で満たすよう完璧に設計されていた。 しかし、その欺瞞的な美しさが俺の心をさらに深く抉る。 だが俺にとっては、そこが妹の命を勝手に奪い殺した奴らの冒涜的な場所としか見えなかった。 塔の壁を彩る細かな彫刻も、陽光を反射して輝く尖塔も、その白さが、嘘と偽善で塗り固められているように感じられ、胸の奥で煮え滾るような怒りが収まら